この記事はヤマシタトモコ『花井沢町公民館便り』全3巻の解説・考察記事です。
希は壁を抜けられたの?総一郎はどうなったの?これはハッピーエンドなの?
結末の疑問について考察していきます!
◆作品情報
- タイトル:花井沢町公民館便り
- 著者:ヤマシタトモコ
- 出版年:2010年
- 掲載雑誌:アフタヌーン(講談社)
- ジャンル:現代SF、恋愛、ヒューマンドラマ、群像劇
◆花井沢町という舞台設定
作品の舞台は郊外のベッドタウン「花井沢町」という小さな町です。
開発中だったシェルター技術の事故により、町一帯がシェルター化してしまいます。
それは刑務所に使われることを目的として開発していたテクノロジーで、生命だけが通過できない透明の壁を生成する技術。壁内外の生命体は蟻一匹すら、二度と出ることも入ることもできません。
生命体以外は壁を通ることができるため、物資や食料は外からの配給があり、内側に残された町民は問題なく暮らしていくことができます。
この作品は、そんな花井沢町の200年間を描いた群像劇です。
◆登場人物たちは死ぬとき何を思ったか
壁ができてから“最後の1人”がいなくなるまでの200年間を描いているため、“最後の1人”以外の全員は「花井沢町で死んだ」ことになります。
この作品では“最後の1人”である市川希が実質的な主人公として深掘りされていますが、せっかくの群像劇なので、その他のキャラクターたちがどんな最期を迎えたのかについて考えていこうと思います。
前世代の人は最後まで外に出られなかったことを惜しむだろうし、後世代の人は意外と満足して終わることもあると思います。
●あいかとエマ(事故15年後)
事故が起きた年に生まれた、15歳のあいかとエマのエピソードです。
この時代は、人口もまだまだたくさんいて、花井沢町に住んでいるおかげで芸能人に会う機会も多く、良くも悪くも「ちょっと不自由の多い普通の人生」として生涯を終えただろうと思います。
当たり前に孫まで持てた時代です。
外を知らない子供は、壁の中で暮らすのが「当たり前」なんですよね。これって震災に似ていますね。まだ不便なところはあるけど少しずつ町から自粛ムードが消えて、活気が出てきて、前と後での変化に大人たちが順応できてきて、子供は「当時のことは知らないけど大変だったんだな〜」くらいにしか思わない。
毎回同じ締めをする「小さな町です」にも絶望より「私たちにとって当たり前の生活を、普通じゃないものにされても困る」というニュアンスを感じます。
とはいえ未来がないことへの諦めは感じますね。勉強しても意味ない、など。
●曽部くん(事故3年後)
中・高校生という青春時代に突然壁ができて外に出られなくなった世代の曽部くんのエピソードです。
それまで当たり前のように通っていた学校に、突然通えなくなった“前世代”です。この世代が1番つらい気がしますが、曽部くんは明るく前向きで活動的です。
曽部くんは別のエピソードでも壮年になって登場しており、“花井沢町で一生を終える”という数寄な人生を特に感じさせるキャラクターですね。
さて、事故から3年が経った花井沢では、「自粛ムードはもう脱却したい」という前向きな意見が出ていました。現実を受け入れて、ここでの生活に順応していこうという動きがありました。
そんな中、窃盗が起きます。
隔離された花井沢町で、犯人は確実に近所の人間です。住民たちは泥棒を捕まえることに成功しますが、そうしたところで彼を警察に突き出すこともできないことに気付きます。
この小さな町で、泥棒とも共生していかなければならない。
「どうせ逃げられないんだから許して助け合おう」と言う声が上がりますが、世の中そう簡単にはいきませんでした。
後味悪いエピソードとなっています。
でもたべのすけエピで泥棒の家の落書きが消えていたので、年数を経て蟠りがなくなったとか、話が風化したとか、ほんの少しの救いはあったのかもしれません。
●エーコとさおちゃん(事故120年後?)
秘密基地エピソードの時点で空き家がたくさんある時代、その数年後には隙間風ビュービューの建物ばかりで人口減少、子孫残す残さない問題が起きているので、壁ができてから110〜120年くらいの花井沢と予想します。小学生男子だったタケルが大きくなっているので10年くらいは経過していますね。
この時代は、それこそ子孫は作るべきじゃないと考える人が増えてきている頃で、1人死ぬたびに心の中でカウントダウンしたんじゃないかなと思います。
あいかとエマの時代と違って、もう慰問に来る芸能人もほとんど居ないですし。
さて、私自身はエーコ派で、子孫は残さない方に賛成したいです。なのでさおちゃんの「お母さんになりたい」という気持ちはわかりませんでした。
お母さんになるという自分の願いが叶ったとて、その子を幸せにすることはできないのですから。
それがこの漫画の根幹のテーマのはずです。
エーコとさおちゃんは、それこそ後悔の多い死に際だったかもしれません。
互いに相手を幸せにできなかったし、自分が幸せになることもできなかった2人だと思います。
●たべのすけ(事故30年後)
曽部くんがお父さんになった時代なので、壁ができてから30年ほど経った花井沢だと推察できます。
花井沢で生まれて一生外に出られないことをコンプレックスにしてるオシャレ男子、たべのすけ(ハンドルネーム)のエピソードです。
インターネットだけが外との繋がりを持てる唯一の希望で、外に出られなくても自己表現ができる居場所だったたべのすけ。
その心の拠り所を失って、永遠に抜け出すことができないコンプレックスとどうやって最期まで向き合っていくのかと考えると心が痛いです。
たべのすけは後世代ですが、インターネットを居場所にすることで彼の魂は常に外にありました。外への憧れはあの後もずっとあると思います。
でも花井沢からは出られない。自己実現はできない。お父さんに言われた「中でできる仕事」を選ぶしかない人生というのは、絶望ですよね。長生きしても無駄だと感じてしまいそうです。
でもこれって、外の世界でもそんなに変わらなかったりしますよね。地方で生まれて、東京にしかないお店には行けない。日本で生まれて、アメリカ文化に身を置けない。
でもたべのすけがつらいのは、努力じゃどうにもならないところです。
●春樹くん(事故100年後?)
時系列は明示されていませんが、この時代の人たちはもう全員が後世代のようなので、壁ができて100年くらいの花井沢だと予想します。
このエピソードに出てくる人たちは、外のことを外国や宇宙のような場所だと思っている感覚に似て、執着はなさそうです。
また、「外の奴らにおれたちのことは裁けない」という言葉からも、外の世界をよそ者扱いしている印象があります。
このことから、花井沢町はこの時代、「事故の被害にあった町」ではなく「無法地帯」として世間に認識されていることが窺えますね。
春樹くんの「なくて困るもの」の答えは“法治”なのかもしれないですが、もはや花井沢町は日本の法律から分離した世界であることが感じ取れます。
赤の他人のストーカー女まで「身内」という存在として扱われてしまうのは不安ですよね。家庭内DVが町ぐるみで行われている、と考えたら気味が悪いです。
息子を助けるためとは言え人を殺した母親も「住民たちに守られて」、平気で笑顔で平和に暮らすことができる世界です。
そこは日本ではないのだと思います。
春樹くんは生涯を通してこの違和感と付き合っていく。なんとも苦しい一生だなと感じてしまいます。
●勇希(事故180年後)
終末期の花井沢です。
「20人も残ってない」時代に、何もかも勇希が正論すぎてつらいですね。
自分を産んだお母さんを恨みたいだろうし、ヒロムのことも恨みたいだろうし、外の人間も恨みたいですよね。
「何が法律だ!」という悲痛なセリフがずどんときました。
こういうときばかり法律を掲げる外の人間。だからこそ、前述の春樹くんの時代は、日本の法律を当てにしない選択をしたのでしょう。
でも、なぜ勇希は、子供を一人ぼっちにして自殺したのでしょうか。
おばあちゃんとクソ男しか残っていない花井沢に娘を残していくような女ではないと思うのです。子供と一緒に死ぬのかと思いましたが、そうはしなかったのですね。
最後の「それはどうでもいい」というセリフのヤケクソ感を考えるに、子供のことも恨みの対象になったのかもしれません。
名前の通りに子供にのぞみを託した…とは思えませんでした。
●パン屋さん、作家さん、筋肉くん
これらのエピソードは悲壮感がなく、平和的で良いですね。
時代はわからないですが、筋肉くんとパン屋さんのエピソードはまだ壁ができてからそんなに経っていないと思われます。境界ギリギリのところに外の人が住んでいて、好意的なので。
作家さんもコスプレ衣装で生計を立てている女の子もオンラインゲームをする男の子もそうなんですが、人によっては壁なんてあってもなくても変わらないという、この漫画にしては珍しい前向きな生き方がとても素敵です。
外のど田舎と比べたら花井沢の方が便利だという意見は、彼らならではの発想ですよね。たべのすけが聞いたら発狂しそうです。
彼らは死ぬ間際、花井沢町に生まれたことを後悔することはなかったと思います。パン屋さんなんか特に、花井沢に生まれたからこその体験ですもんね。
●希(事故200年後)
終末期の花井沢で、“最後の1人”となった希のエピソードです。
勇希とヒロムの娘です。母・勇希は望まない子供(希)を産んで自殺しました。
そのため、希は祖母と一緒に暮らしていました。
1巻巻頭で祖母の亡骸を外に送り出しているのが希です。
たった1人残されて孤独かと思われた希ですが、実は友達がいました。
壁の境界付近で出会った総一郎です。
2人がいつ頃、どうやって出会い、どうして好き同士になったのかは、作中には描かれていません。「小さい頃から一緒にいた」という説明のみです。
2人は、言語化するなら「行政公認だけど非公式」の恋人のような関係でした。
それも「壁があるから恋人にはなれない」というストッパーがあって成立していた関係だったのかもしれませんね。
希と総一郎は、当たり前のように恋人同士の振舞いをしており、一緒に過ごせる家まで作ってもらっていますが、気持ちを初めて言葉にしたのはあの夜の「あいしてるから」だったのかなと思います。
希もあの夜はじめて自覚したのかもしれません。
一緒に暮らすことで総一郎の暮らし(=外の暮らし)も見えてしまうため、今まで抱かなかった気持ちも湧くと思います。
「金魚に触ることができない。仕方ない。諦める。」というそんなレベルの話でなく、外への憧れと執着が出てきます。
総一郎との距離が近くなれば近くなるほど、絶望は大きくなります。
総一郎と隣同士に寝ていても触れ合うことはできない、総一郎の世界は広いが自分の世界は狭い、というコンプレックスが拡大します。
1人だったら生まれなかった感情のはずです。
もし1人だったなら、これまでのエピソードに登場していた「後世代」の人たちと同じく「自分の世界はこれが普通」で終わっていたのではないでしょうか。
◆ラストはどうなった?
少なくとも、中井さんとお偉いさんの会話から推察するに、総一郎は仮死状態になって壁の中に入ったと思います。
「入った後に出られなくなるかもしれない」というリスクを承知で被験者になるとしたら総一郎しかいません。
そのリスクを負えない男だった…という物語ではないはずなので笑。
そして、中に入った総一郎が希を捜して、「生きている間に見つけられた」のか、「間に合わなかった」のかは、読者に委ねられています。
生きていてもいいし、間に合わなくてもおかしくない、そんな終わりになっています。
どちらになっても、最後のセリフ「小さな小さな町でした」に繋がります。
ハッピーエンドを求めるなら、総一郎は「間に合って」、ぶっつけ本番の「中から外へ」も成功して、二人で外に出てこれた………という結末が1番素敵ですね。
◆花井沢は「2人の楽園」
私が考えるハッピーエンドは、「総一郎が中に入り、2人で花井沢で生きる」です。
もともと希は外に出ること自体を望んでいたわけではなく、総一郎と触れ合うことができれば、中でも外でもいいのかなと考察しています。
そのため、無理して(ぶっつけ本番の賭けをしてまで)一緒に外に出ようとする必要性はそこまで高くありません。
希は母・勇希の日記を読んでいますから、「花井沢の中で子供を作る」という選択は絶対にしないと思います。
でも、総一郎と触れ合い、一緒に暮らすことで、次第に子供が欲しいと思うようになるかもしれません。
外に出ることを検討するのはそのときでもいいと思うのです。
それまでは中にいてもいいと思います。
八百屋さんも区役所の人も警察の人も2人のことを知っていて、理解のある人に恵まれていますから。
希にとってのハッピーエンドはこうなんじゃないかな、という私個人の希望です。
◆まとめ
総じて群像劇として素晴らしいテーマ、作品でした。
紹介しきれなかったエピソードも多数あります。
全3巻と手に取りやすい巻数なので、ぜひ読んでほしいです!