すずめの戸締まり、観てきました。
話の内容や展開、結末は天気の子寄りに似ています。というかテーマを豪雨から地震に変えただけでおおまかな流れはほぼほぼ天気の子と同じです。もちろん細部は違いますが。
この記事では、なぜすずめの戸締まりが『君の名は。』『天気の子』の過去2作に比べてつまらないと感じるのかを考察していきます。
◆作品情報
- タイトル:すずめの戸締まり
- 原作:新海誠
- アニメーション製作:コミックス・ウェーブ・フィルム
- 声の出演:原菜乃華、松村北斗 他
- 公開日:2022年11月11日
- ジャンル:アニメ、ファンタジー、アドベンチャー
◆理由その1:視聴者置いてけぼり
すずめと草太さんの出会いは予告の通りですが、その後のすずめの行動に動機が見えません。
「どこかで会ったことがある?」の話は後半に伏線回収されるものの、そこで草太さんと何かあったわけでもなく、ちょっと説得力に欠ける感じです。
進行の都合なのはわかりますが、すずめの理解度が異常に早くて行動力もあって(『君の名は。』の三葉と瀧くんくらい動揺や混乱や試行錯誤タイムがあればまた違ったのですが)、どうしてそこまですずめが草太さんの事情に首を突っ込むのかの背景が薄いです。
ボーイミーツガールのありがち展開とはいえ、手当てをするのもちょっと強引。
すずめがいつ草太さんを好きになったのかもわからないです。『天気の子』の帆高と陽菜くらい一緒に過ごす時間が長くて二人が楽しそうにしてて距離が近づく描写があればよかったのですが。
要は草太さんの顔が良かったから成立しただけ?となってしまいます。しかも2人が一緒に過ごしてる時間の9割以上は草太さんは椅子です。
すずめが泣きながら迫真的に「草太さんがいない世界が怖い」と言うほどの関係性か……?というツッコミしかありませんでした。
◆理由その2:事前情報で聞いてたほど旅はしない
auのCMや、トレーラーの情報、公式のあらすじ等で、「九州に住むすずめが厄災を止めるために全国を旅する」というように紹介されていたと思います。
全国各地でいろんな人と出会い、触れ合い、別れるという描写をすごく楽しみにしていました。
ですが、実際に出会って交流したのは愛媛の女子高生と神戸のスナックのママだけでした。
愛媛のあの田舎道で運よく通りかかった車が、運よく声をかけてくれて、運よく神戸に帰る途中だった…というのもご都合主義が否めません。
神戸行きの車が偶然通りかかるのなら、せめて香川か徳島であれば隣県ということで納得できるのですが。もしくは何回かヒッチハイクで乗り継ぎ乗り継ぎにしてほしかったです。そういう「いろんな人との出会い」を楽しみにしてたので。
すずめの旅は順風満帆すぎて呆気なかったです。
◆理由その3:草太の一方的な正義
丸の内線のトンネルからミミズが出てくるシーンはなかなかに迫力があって、うおーこれどうすんのー?という、終末感、絶望感、映画ならではの臨場感もありました。
しかし、序盤からずっと草太さんが危ない危ない言うわりにはすずめはあまりミミズを怖がらないですし、いやミミズの上乗って走れるんかーーーいwwwというツッコミどころが多すぎました……。
あれだけ「危ないもの」と説明されていたのに、それでいいの?という気持ちになります。
もののけ姫のタタリ神みたいに触ると侵食するという恐ろしさがないと、セリフに説得力がありません。
確かにミミズは恐怖を煽る見た目していますし、あれが地震を起こす恐ろしい対象であることは理解できるのですが、ミミズがトンネルから湧き出てくる光景を目の当たりにしたときのすずめ(視聴者)の圧倒的な絶望に対して、「いやミミズ触っても平気ならそこまで絶望でもないやん」となってしまいました。草太さんは一体何をそんなに危ないと連呼したのか、甚だ疑問です。
また、ダイジンをとっ捕まえて「扉を閉めろ!」と叫ぶのも、随分と迫真的な演技でしたが、果たしてあれは要石に訴えるだけで閉められるものなのでしょうか。視聴者は草太さんに感情移入できていないので、嫌だと言うダイジンに一方的に閉めろ閉めろと言うだけの草太さんのことはまったく信用できませんでした。
草太さんに関しては、本当に申し訳ないですが、全体的にダイジンを悪者にして自分勝手な正義を振りかざしている印象を受けました。
最後の最後まで自分が要石になりかけてることに気付かなかった鈍感さも、うーんって感じです。
草太さんが要石になってすずめが自らの手で封印する場面は良かったです。というか、ここがクライマックスです。ここで終わっていれば『天気の子』を超えてたかもしれないとさえ思います。
草太さんを助けたい、でも東京の人たちが死ぬ、という窮地に立たされて、すずめの葛藤もよく伝わってきましたし、ダイジンの悪魔的な怖さも良かったですし、緊迫感もあり、すずめの決断の苦しさの表現もとても良く出ていて、とにかく非常に良かったです。
ここで終わってれば本当に良かったです。(2度言う)
◆理由その4:蛇足に感じる旅
批判を恐れずに言うと、ここから先のドライブや常世の話は蛇足だなと感じました。
常世での「あの日、たくさんの『行ってきます』があって、そのまま時が止まってる」という描写はグッとくるものがありましたが、その感動は、この映画そのものへの感動ではありません。当時の震災に想いを馳せていることによる感動です。「すずめと草太さんの物語」としての感動ではないのです。
つまるところ、3.11の地震が起きてしまったのは、12年前にも扉が開いて当時の閉じ師がミミズを抑えることができなかったからということになります。
であれば、自分の意志で閉じ師をしている草太さんが要石になるのは、贖罪として理にかなってると思うのです。
少なくとも、一度は受け入れたその役割をダイジンになすりつけるほど、草太さんの要石化は不合理ではないと思います。
草太さんが椅子を媒介にして要石になったのと同じように(草太さん→しゃべる椅子→要石)、ダイジンはねこを媒介にして要石になった人間です(ダイジン→しゃべるねこ→要石)。
草太さんが要石になったときの凍りつく感じや孤独な感じを、子供のダイジンも何百年と続けてきたはずです。
そういう過酷で残酷な役割を、だれかが負わなきゃいけないとなったとき、すずめが苦しい想いに耐えながらも「母親、環さん、草太さんに守られて、愛されて、この世界で、この日常を噛み締めて幸せに生きる」という物語の締め方だったら、もっと評価されたと思います。
結局ドライブ以降の蛇足の部分で描かれていたのは、
すずめがわがままを言っていろんな人に迷惑かけながら東北までドライブし、すずめのわがままで草太さんの代わりに幼い子供に犠牲の役割を負わせた。
という話でした。
すずめは当初自分が要石になろうとしていましたが、無関係の立場からの謎の自己犠牲で、ちょっと子供っぽすぎて見ていられませんでした。
そんな後先考えずの行動の結果封印を解いてしまい、危機を起こして、ダイジンが空気を読んでくれたのです。
それで「草太さんが無事でよかった…!」は、さすがに自分本位だと感じてしまいますね。
◆過去2作との比較
『天気の子』でも帆高は同じような選択を迫られて陽菜を選びましたが、あれはただ別れを延長しただけに過ぎません。
「陽菜1人を犠牲にするか、自分も陽菜も含めた全員で滅ぶか」という選択で、全員犠牲の道を選んだのです。
また、帆高と陽菜には二人が惹かれ合う描写がちゃんとありました。だから展開に違和感はないです。
『君の名は。』だとそこまで壮大じゃなくて、瀧がどれだけ頑張っても糸守消滅は免れまさん。なんとか住民の避難を早めることができただけです。
だれも犠牲になっていない点で物語としてすごく良かったですし、ストーリー展開も丁寧で感情移入できて違和感なく観られました。
だから感動できたし、最後に出会えた二人を心から祝福できたのですね。
◆最後に
「震災を忘れないための映画」としてなら評価は高いと思います。
しかし、「すずめと草太さんの物語」として見ると、残念な評価です。